第2回

視力1.0が意味すること

 

 日常生活において外界からの情報の80%以上が視覚を通じて得られるといわれていますが、視覚は生まれながらに持っている感覚ではなく、経験や訓練によって発達します。生まれてすぐには、お母さんの顔がはっきりと見えないのはご存知のとおりです。

 最近の研究によると、新生児の視力は0.01、生後1か月では0.02、3か月では0.1、6か月では0.2ですが、3歳時にはすでに1.0の視力に達しているといわれています。このように視覚は生まれてからも発達し、2歳から3歳が最も視覚発達において重要な時期だと考えられています。このため、3歳時健診で視力検査を行うようになりました。

 では、「みる」ことの意味について考えてみましょう。辞書を引くと多くの「みる」に出会います。

 

見る

生理的機能としてみるという表現がふさわしく、受容といった

言葉で表せる見方。

視る

注意してみる見方。部分にわけていく見方で、分析といった言葉

で表せる見方。

眺る

全体としてみる見方。総合という言葉がこの文字にはふさわしい。

診る

調べるという要素と、即時的な判断がこの文字にはふさわしい。

看る

長期間にわたって見守り続けるという見方で、看護という言葉に

置き換えられる。

望る

現在から未来をみる見方で、予見という言葉に対応する。

省る

原点に戻る。過去をみる見方で、内省という言葉がふさわしい。

察る

一を聞いて十を知るものの見方。洞察という言葉に対応する。

証る

実証的にみる見方。別の言葉でいい表すならば証明の文字が

あてはまる。

観る

以上の9つの見方を統合したような見方で、直観という言葉が

ふさわしい。

そして、視と眺、診と看、望と省、察と証はそれぞれ互いに補完する関係にあります。各自がどのような「みる」を使っているか考えてみてください。

 

○視力1.0のすばらしさ

 例えば、視力表で1.0のランドルト環を示したとき、@眼球には異常がないA視神経は正常B後頭葉(第1次視覚野 V1)も正常C認識をつかさどる連合野も正常(V1→下頭頂小葉に向かう背側路系:空間視、V1→下側頭葉連合野に向かう腹側路系:形態視や色覚)D運動中枢が正常E運動器(声帯)が正常に働き、「上」と発語します。このように、視力1.0は感覚器(受容器)、中枢、運動器などすべてが十分に機能していることを意味しています。「視力1.0」はなんとすばらしいことなんでしょう。(図)

 

図:視力検査

 

 しかし、どこか1か所でも具合が悪ければ、通常の視力検査はできません。それが、受容器である眼の病気であったり、中枢である後頭葉が障害を受けても同様です。例え眼から後頭葉までが正常で第1次視覚野に像が写っていても、認識をつかさどる連合野が障害を受けていれば同じように視力検査は不能です。見えていても「上」だと認識できず、単に視力検査ができないで片づけられてしまいます。

 しかし、お母さんや家族の観察は鋭く、「よくわからないんですが、何か見ているような気がするんです」「時々目線が合うような気がするんですが」「おじいちゃんはじっと何かを見つめているようですが」などの訴えに遭遇することがあります。おそらく、このような場合は見えているのでしょう。

 私たちが、子供や高齢者、障害者から発信されている合図がわからないだけではないでしょうか。ヘレン・ケラーの「ウォーター」がわからないのではないでしょうか。現在、事象関連電位などの電気生理学検査で認知レベルまで解明が進んでいますが、やはり観察に勝るものはありません。子供や高齢者、障害者が発する合図を感じ、理解できることは、子育てや介護にあたる者にとっては大きな喜びであり、かつ励みとなります。

 聖路加国際病院理事長の日野原重明氏も述べているように、医学教育の目的のひとつは、このような感性を磨くことです。教育や福祉でも同様だと確信しています。

 

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